2023/12/28

👑李相烈會長「나의 아버지는 再臨메시아」2023年12月24日

👑李相烈會長 2023年12月24日

「나의 아버지는 再臨메시아」

이상열회장
「나의 아버지는 재림메시아」
(韓國語14分)

李相烈(이상열)會長 말씀


「私のアボジは再臨メシア」


だからこのサタン世界のメシアが誰ですか。ロスチャイルドがメシアになるのです。サタン世界の。ですから、ロスチャイルドが世界の金融をすべて動かします。英国王家と連結されて。そしてイスラエルも事実は、大株主がだれかと言えばロスチャイルドです。イスラエルの国旗とかイスラエルが使用している様々な部分、そして、イスラエルがこのイエスニムが生まれてイエスニムを迎え、イエスニムを中心に建てるべきイスラエルが、今、95%がイエスを信じない。5%だけしかイエスニムを信じません。そして、このイスラエルの首都には世界で一番同性愛者が多いです。話になりますか、なりませんか。


ですから、言い換えれば、サタンが最も旺盛な所がどこかと言えば、今、イスラエルです。イスラエルの首都。(예루살렘・Jerusalem)ですから、そこにハナニムがイエスニムを再び送るようになりますか、なりませんか?そして今、基督教人(クリスチャン)達はこのイスラエルの国を救うべきだと言っています。


ところが、アボニムは、ハナニムがこの大韓民国を今、第三イスラエル民族として選び、この大韓民国を立てて全世界を神の王国として立てようと、その御言葉(みことば)を今実体的に実現して来られたということは、韓国にそのような期待を持っておられるのです。


今日(きょう)、すべての教会でイエスニムの聖誕を慶祝しますが、イエスニムがこの地に来られたのは、ハナニムのその愛とハナニムが下さるその平和、ハナニムが下さるその慈悲、ハナニムが与えられるその御旨をイエスニムがこの地で実現するために来られたその御旨を讃揚(チャニャン)するのです。


だったら今日(こんにち)、この大韓民国が今、再び来られた再臨クリスト…。イエスニムの真(まこと)の姿、そして、ハナニムアボジが今、この地の上に実体を完成されたそのアボニムの実体の姿を、私達が考える時、今日(こんにち)の私達の姿はどうあるべきか。そして、今日(こんにち)、私達がその勝利されたハナニムの実体であられるアボニムに侍り、そのアボニムによってこの地の上に三代王権が立てられ、その三代王権が今年度に祝福聖恩勝利を成し遂げられたこの年に私達が共にしていることがどれほど感激、感動を受けることでしょうか。私達が今、この貴(とうと)い時代に生きていながらも、そのような心が私達の中で生きて動かないならば、私達は今、心霊が閉じている状態にある。私達は心の門を開き、この、今、この時代にアボニムのその実体的なその御旨を広げておられる二代王様をウリが侍り、この三代權に侍り、私達がこの時代に天の前に立っているということは、福なる者の中の福なる者であることをウリが自覚するべきです。我主(アージュ)。


隣の人に対して「真(まこと)に真なる福なる方です」と言ってあげて下さい。そうだと思いますか?(「イェ」)。私達はそんな自負心と矜持(きょうじ)を持つべきです。だからと言って、驕慢(きょうまん)になれということではありませんよ。


今年(2023年)は王様が年頭標語を下さいました。「苦難時代チャムアボニム感謝勝利」。今、全世界が苦難を受けているじゃないですか。なぜ?メシアが来られて、再臨真の父母として訪ねて来て、万王の王として勝利されたその真の母として立てられていた方が、天宙的背信をすることにより、全世界がサタンの総攻撃を受けてきたことを、昨年(2022年)と今年(2023年)を中心として、その苦難時代を経(へ)て来ながら、三代王權が祝福完成勝利を成し、出発されることを、アボジの前に私達は感謝しその勝利を今からは広げていく時になりました。


ところで、二代王様は今年(2023年)、二度、韓国と日本を巡回されました。今年、韓国に来られて、順天(スンチョン)天正宮(チョンジョングン)を奉献されました。今、韓国を始めとして世界に宮(きゅう)が多いです。しかし、そのすべての宮(きゅう)は、韓氏(ハンシ)オモニによって、アボニムが使用できない、アボニムの權限圏からすべて離れてしまいました。そうしてすべての宮(きゅう)が無くなってしまいました。


ところが今年2月に来られて、この順天(スンチョン)に初めて天正宮(チョンジョングン)を奉献されました。それで天正宮(チョンジョングン)が韓国のアボニムの故郷に建てられたのです。アボニムの祖国に建てられましたのです。そして、オモニ国家である日本の群馬にオモニ天正宮(チョンジョングン)が建てられました。そして、今度(このたび)来られて、韓国と日本で王様は天地人チャンプモニム三代王權歓迎大会を勝利されました。


この世の人々はアボニムは「メシアではない」「メシアではないようだ」と言います。アボニムが聖和されてすぐに、すべてのものが3つに分かれ、言われる事が成されないというのを見たら、アボニムはメシアではないとこの世の人々は言います。日本を見たら、日本は今、完全に国家的に教会を壊すのを見たら、今や、統一敎は終わったようだ。このように言っています。


ところが、このような環境の中で二代王様が来られて、天地人チャンプモニム三代王權歓迎勝利大会を成されました。結局、去る10年の間、攝理は止まったように見えたましたが、アボニムのその代身者、相續(相続)者、後繼(後継)者は10年の間、準備されて今、出発摂理をこのように勝利的に出発されたのです。韓国でそのような結実。


日本では(2023年)2月に来られたときに千人集会をしたじゃないですか。そいて、この度(たび)11月には1200人の集会を勝利し、アメリカに出国されました。事実、日本は今、政府と、そして社会と言論のすべてが完全に協力して、家庭連合を攻撃して壊そうとしています。


しかし、このような環境の中で、アボニムは二代王様を日本に送られて、10カ月で20%増やしてこのたび攝理的なその歓迎集会をされることができたのです。


準備した資料があります。王様のペンシルベニア資料を最初に見せて下さい。


鐵杖祝祭の時に来てウリを助けて下さった方達がペンシルベニア(本部)に150名か60名来られたようです。ここには半分以上が基督教人(=クリスチャン)になります。この基督教人の中の50%が今、ウリ教会に出て来るというのです。


ところで、二代王様、國進(クッチン)監査院長は人に会うごとにどんな言葉を言うのか知っていますか?「私の父はメシア」「再臨メシアです」これをまず始めに言われます。しかし、ここの基督敎人達はこんな言葉を認めながら、共にこうしているのです。ですからどれほど驚くことですか。


私達は基督教人達にアボニムを伝えるときに、この言葉を言えば、その人が私を異端だと言えば、どうしようと思って、出かけた言葉がひっこむでしょう?ウリ崔(チェ)伝道師がよく知っていますね。だからこの日、この行事を通じて、今、こうして変わっているんですね。


私が初期に2014年、2015年、聖殿に行った時、王様は日曜日になれば何をされるかご存知ですか?王様は化粧室を清掃されれば、(トイレを掃除されれば)王妃様は聖殿を清掃されます。王妃様が化粧室清掃されれば王様が聖殿を清掃されます。それで私は行くたびごとに化粧室の清掃をします。そのようにしますが、しかし、美國(ミグク)食口(シック)達は来れば、ただ見ています。私はそれを見て、言うことはできませんが、本当に手が振り上がりそうになります。そういう中で出発したのですが、今、こういう方達が出て来たのです。


そしてもう一つのビデオを見せてください。


これは何か分かりますか。これは(2023年12月11日)月曜日に、汝矣島(ヨウィド)63(ユクサン)ビルディンでの13敎團聯合大會(13教団連合大会)で、全光焄(チョングァンフン)牧師を中心として2千名余りが集まりました。ここに各宗団(しゅうだん)の代表達がすべて参席しました。参席したのは牧師と長老と勸士(クォンサ)達ですが、その中心は牧師達です。次、次、次…、この人は誰ですか?私はソウル南部大会会長イーサンヨル牧師です。私の区は11区の中に24の選挙区があります。この度(たび)最善を尽くして良い結実jを結ぶようにします。ハレルヤ。今、直接、司会から紹介されています。もう一度聞いてみましょう。


저는 서울南部代表會長 李相烈 牧師입니다.저의 區는 11個區에 24個 選擧區가 있습니다.이번에 最善을 다해서 좋은 結實을 맺도록 하겠습니다. 할렐루야.할렐루야.


この場は、全光焄(チョングァンフン)牧師を中心とした地域敎會聯合會です。南部には11の区に24の選挙区があります。江南(カンナム)、瑞草(ソチョ)などが南部になっています。それで、その24個の選挙区で牧師達と私が来年(2024年)4月までソウルをひっくり返します。


それで、重要なことはこういうことです。アボニムがこの地の上に再臨クリストとして来られた、それが縦的柱(はしら)です。その縦的柱を中心として誰が立っていますか?私達が立っています。私達の生まれが良いとか悪いとか、大きいとか小さいとか関係無いのです。重要なことは、誰にハナニム アボジが一緒におられるかという事実です。まさにそのアボジと共にいる私であることを考える時に、私は不足であるけれども、不足な私を呼ばれたその方に、私が絶対信仰、絶対愛、絶対服従した時、その方が私に入って立たれるのです。ですから、ウリはその方の前に謙遜な心で、その方の前に従順な心でその方の御前に私達のすべての栄光を捧げる事により、その方の栄光が現れるようになれば、ウリがその方の中で共にアボジの愛の中で立つことができるのです。


だから今、牧師達がしているこの愛国運動、ウリ国家を生かそうとする運動が、天の中心と連結されているべきです。勝利するべきです。この大韓民国(だいかんみんこく)をハナニムの祖國と故郷として回復させるその役事をウリが成していくべきということを決意して出発する時、イエスニムの聖誕の意味がこの大韓民国に共に広まって行くと信じます。ウリ食口ニム達のそんな心でウリの信仰が充填(じゅうてん)される時、ウリが行く所ごとにアボニムと聖霊が、イエスニムの聖霊がウリと共にあられ、大きな役事を広めて下さると信じます。ハレルヤ。祈禱します。


2023年12月24日







2023/12/23

週刊文春「エホバの証人教団関係者による性加害の実態」 2023年12月22日

 週刊文春 2023年12月22日
エホバの証人“元2世信者”30代女性が実名顔出しで明かした
《教団関係者による性加害の実態》

全世界に860万人以上、国内で20万人以上の信者を擁するキリスト教系新宗教「ものみの塔聖書冊子協会」、通称「エホバの証人」。

そんな「エホバの証人」の元2世信者らから成る「JW(Jehovah's Witnesses=「エホバの証人」)児童虐待被害アーカイブ」が信者と元信者に行ったアンケート調査を公表したのは、今年11月28日のことだった。

団体によればアンケート調査は7月以降にSNSを通じて実施。「信者からの性暴力」、「自身の性経験を告白するよう強要された」、「集会や出版物で性的な表現を見聞きさせられた」の3分野で被害申告をまとめた。うち被害を訴える男女11人とは公認心理師が面接調査も行った。

218件の性的虐待の被害が判明

公表されたアンケートによれば、159人が218件の性的虐待の被害を受けていたことが明らかになった。団体は公表日に、教団への早急な対応を求める要望書をこども家庭庁などに提出した。

これを受けて岸田文雄首相も反応した。11月22日の衆院予算委員会で「宗教の信仰といった背景があったとしても、決して許されるものではない」と述べ、統一教会同様、宗教を笠に着た悪質な行為であると指弾した。

実は、「週刊文春」編集部には、かねてからエホバの証人の2世信者から教団の内実に関する情報提供が寄せられていた。

今回、改めて「週刊文春」は複数の元信者や関係者らに話を聞いた。複数の証言から浮かび上がってきたのは、これまで隠されてきたエホバの証人の実態だった。

彼らが訴える“被害”の中でも、特に目立つのが、教団関係者からの性的加害だ。

かつてエホバの信者だった中島みきさん(30代)は、3歳の時に母が入信。自身も4歳頃に野外奉仕と呼ばれる伝道活動に毎日のように連れて行かれ、9歳くらいからは「伝道者」という教団内の立場になったという。

そんな中島さんが性被害に遭ったのは9歳の時だった。

「胸のあたりに肘をツンツンと押し当てて…」
「同じ地域に7、8歳上の男性の信者がいて、私は彼を実の家族のように慕っていました。お兄さんのようであり、お父さんの代わりのようでもあり。よく遊んでくれましたし、我が家に家庭教師としても来てくれました」

エホバの証人は男女関係には極めて厳しい制限を課す。未婚の男女が肉体関係になる「婚前交渉」は禁止されており、信者以外との恋愛も許されない。だが、年長の信者は信じられない行動をとる。

「私の胸のあたりに肘をツンツンと押し当ててきました。9歳頃でも、胸を触られることがどういうことかわかっていました。慕っていたお兄さんにそのようなことをされて、すごくショックだったのを覚えています」。中島さんは信者時代、こうした被害を訴えることはできなかった。

エホバの証人日本支部広報部門に中島さんの被害や性虐待についての見解を問うと「エホバの証人は性的虐待を重大な罪と見ています」とし、主に次のような回答があった。

「信ぴょう性が確認されていない事例についてコメントすることはありませんが、エホバの証人の会衆の長老たち(地元のグループの世話役)は、児童虐待に関する訴えや報告を聞いた場合、児童相談所への通報を行います」

元信者の証言から徐々に明らかになるエホバの闇。だが、被害はこれだけではなかった。「 週刊文春電子版 」では、「真相追及キャンペーン エホバの証人の闇」と題する連載を配信する。中島さんの告白のより詳しい内容のほか、元信者や関係者の証言から明らかになったエホバの証人の実態を詳しく報じる予定だ。

「週刊文春」では、「エホバの証人」について情報を募集しています。文春リークスまで情報をお寄せください。

文春リークス:
https://bunshun.jp/list/leaks
(「週刊文春」編集部/週刊文春)

2023/12/20

🚢「生命의 航海가 始作되었다」 (日本語+日韓字幕, 10分)

 🚢「생명의 항해가 시작되었다」
(일어음성+일한자막, 10분)


📝參考(참고)

✎레너드 라루

레너드 라루(Leonard LaRue, 1914년 1월 14일 ~ 2001년 10월 14일) 선장은 흥남 철수 작전 당시 14000명의 피난민을 구했던 메러디스 빅토리호의 선장이었다.

✎기네스북 인증

흥남철수작전 당시 미국 화물선 메러디스 빅토리 호가 북한 피란민 14,000명을 구출한 기록을 한척의 배로 가장 많은 생명을 구출한 세계기록’으로 인증


生命(생명)의 航海(항해)가 始作(시작)되었다

60年前 韓國(한국)에서 일어났던 잊혀진 이야기가 2004年 5月 기네스북에 記錄(기록)되었다.


言論(언론)은 이 事實(사실)에 대해 一齊(일제)히 報道(보도)하기 시작했고, 美國(미국)의 한 言論(언론)이 이렇게 表現(표현)했다.


「奇蹟(기적)의 배, 메러디스 빅토리號(호)」


지금으로 붙터 60年前인 1950年 美國의 民間商船(민간상선)인 메러디스 빅토리號는 戰爭(전쟁)에 參戰(참전)하라는 命令(명령)을 받는다.


그 戰爭(전쟁)은 다름아닌 우리(韓國)의 아픈 歷史(역사)인 韓國戰爭(한국전쟁) 이었으며, 1950年9月15日 仁川上陸作戰(인천상륙작전)을 시작으로 메러디스 빅토리號는 韓國戰爭(한국전쟁)에 參戰(참전)하게 된다.


과연 이 한 隻(척)의 배에게는 어떤 運命(운명)이 기다리고 있었을까?


1950年6月25日에 勃發(발발)한 터진 戰爭은 1950年12月, 어느덧 겨울에 접어들고 있었다. 鴨綠江(압록강) 물을 수통에 담으며 統一(통일)이 가까워졌다는 希望(희망)도 暫時(잠시), 北韓軍(북한군)과 中共軍(중공군)의 人海戰術(인해전술)에 유엔軍은 撤收(철수)를 시작했고 차가운 눈보라 속의 興南(흥남) 埠頭(부두)는 避難民(피난민)과 軍人(군인)들로 가득했다.


興南地域(흥남지역)을 지키고 있던 유엔軍(군)은 撤收(철수)를 시작할 수밖에 없었다.


1950年12月20日19時10分 메러디스 빅토리號는 興南撤收命令(흥남철수명령)을 받고 急하게 興南(흥남)外港(외항)에 到着(도착)하였다.


메러디스 빅트리號는 興南港(흥남항)에 碇泊(정박)하지 않은 채로 다음 命令(명령)을 기다리고 있었고. 라루 선장과 러니 事務長(사무장)은 撤收中(철수중)인 興南港(흥남항)을 바라보고 있었다.
港口에는 鴨綠江을 넘어 도망처오는 避難民들로 북적거리고 있었다.


북적거리다
어수선하게 들끓다
be crowded


눈 덮힌 언덕배기로는 興南市街(흥남시가)에 砲彈(포탄)들이 비 오듯 쏟아졌고 興南市街地(흥남시가지)는 그야말로 生地獄(생지옥)이 따로 없어 보였다.


避難民(피난민)들은 허리까지 차오는 바닷물까지 나와 懇切(간절)한 表情(표정)으로 碇泊(정박)한 배들을 바라 보고 있었다.


그들 바로 뒤에는 北韓軍과 中共軍(중공군)이 밀어 닥치고 있었고 앞에는 오직 茫茫大海(망망대해)만이 펼쳐져 있었다.


그들에게는 漸漸(점점) 어두운 運命(운명)의 그림자가 드리워지고 있었다.


드리우다
아래로 처지게 늘어뜨리다.


죽거나. 혹은 捕虜(포로)가 되거나.


1950年12月22日아침6時50分, 機械化部隊(기계화부대) 上陸艇(상륙정)이 千餘名의 軍人에게 供給(공급)할 수 있는 戰鬪食糧(전투식량)을 옮겨 주었다. 라루 船長(선장)은 戰鬪部隊員(전투부대원)들을 태우고 곧 興南港(흥남항)을 떠나게 될 것으로 斟酌(짐작)돼 있었다.


짐작
斟酌하다
어림쳐서 헤아리다
guess


雙眼鏡(쌍안경)으로 비춰진 避難民(피난민)들. 그들이 오직 할 수 있었던 건 茫然自失(망연자실)한 表情(표정)으로 茫茫大海(망망대해)를 바라보는 것 뿐.


라루船長(선장) 역시 수많은 避難民(피난민)들의 危殆(위태)로운 모습을 바라보고 있을 수밖에 없었고 안타까운 마음은 점점 커져가고 있었다.


위태
危殆롭다
마음을 놓을 수가 없을 정도로 보기에 온전하지 않거나 危險하다
risky
危機に瀕している


1950年12月12日17時30分,美陸軍(미육군)10軍團 (군단)參謀(참모)들이 乘船(승선)하였고 그들과 船長(선장) 및 幹部(간부) 船員(선원)들은 緊急(긴급)會議(회의)를 召集(소집)하였다.


「大部分(대부분)의 船舶(선박)과 UN軍의 相當數(상당수)가 이미 興南港(흥남항)을 떠났습니다. 지금 興南埠頭(흥남부두)에 남아있는 배中의 한 대가 메러디스 빅토리號입니다.」


「美陸軍(미육군) 3師團(사단)만이 防禦線(방어선)을 지키고 있습니다. 早速(조속)한 撤收(철수)가 要求(요구)됩니다.」


「興南撤收作戰(흥남철수작전)도 거의 막바지입니다. 船長(선장)님께서는 最終(최종) 防禦任務(방어임무)를 맡은 美陸軍(미육군) 3師團(사단)의 軍人(군인)과 裝備(장비)를 船積(선적)할 準備(준비)를 早速(조속)히 하시면 됩니다」


「남아있는 避難民(피난민)은 몇 名 程度입니까?」


「大略(대략) 3萬5千名程度로 推定(추정)됩니다.」


「避難民(피난민)이 脫出(탈출)할 수 있는 배가 남아있습니까?」


「없습니다.남아있는 軍需物資(군수물자)도 抛棄(포기)한 狀況(상황)이고, 共産軍(공산군)의 使用(사용)을 막기 爲(위)해 爆發(폭발)시킬 豫定(예정)입니다. 共産軍(공산군)이 興南住民(흥남주민)들에게 UN軍을 도와줬다는 名目(명목)으로 모조리 銃殺(총살)하겠다고 豫告(예고)하고 있습니다.」


「時間(시간)이 없습니다. 船長(선장)님은 軍人(군인)들을 태우고 豫定(예정)대로 興南港(흥남항)을 빠져나가시는게 最善(최선)의 選擇(선택)이라 생각됩니다」


무거운 對話(대화)가 進行(진행)되는 동안 빅토리號의 幹部(간부)船員(선원)들은 숨을 죽이고 이들의 對話(대화)를 듣고만 있었다.


그러나 메러디스 빅토리號의 船長(선장) 제러드 라루는 斷乎(단호)하게 말했다.


「저들을 태웁시다. 될 수 있는 한 많이 태웁시다」


貨物運搬用(화물운반용)으로 建造(건조)된 메러디스 빅토리號는 12人用 船室(선실)밖에 없었고, 船員(선원)들도 48名 뿐이었다. 數千名을 태웠다간 災殃(재앙)을 갖여올 可能性(가능성)이 컸다. 300여통의 航空油(항공유)까지 싣고 있던 터라 불꽃이라도 튀는 날에는 배를 송두리째 날려버릴 危險(위험)까지도 있었다.



자리
a site


1950年12月22日 金曜日 밤 21時30分 메러디스 빅토리號에 避難民(피난민)들의 乘船(승선)이 시작되었다.


船倉(선창)으로 샐 수 없는 北韓(북한)住民(주민)들이 떼 지어 몰려들었다.



여럿이 함께 모여 있는 무리


모든 틈새사이까지도 避難民(피난민)들을 밀어넣었다. 船艙(선창)을 칸막이로 막도 또 때웠다.


숨쉴 듯 空間(공간)조차 모자를 정도로「이제 그만 !」이라는 외침이 들릴 것 같았지만 그 날 밤이 다 가도록 들려오지 않았다.


1950年12月23日 아침 11時10分, 모든 倉庫(창고)는 가득 찼고 甲板(갑판)에는 사람들로 넘쳤났다.


7600톤의 鋼鐵(강철)배안에는 사람들로 가득 차고 있었고 不可能(불가능)한 일이었지만 그들은 모두 乘船(승선)해 있었다.


10時間30分만에 그렇게 14000여명의 無辜(무고)한 生命(생명)들은 救援(구원)을 向(향)해 乘船(승선)하였다.


機雷探知機(기뢰탐지기)도 없기에 機雷(기뢰)에 依(의)해 沈沒(침몰)할 수 도, 러시아 潛水艇(잠수정)에 依(의)해 擊沈(격침)당할 수도 있었고, 단 한번의 輕微(경미)한 事故(사고)로 숨쉴뜸도 없는 空間(공간)에 물이라고 차오른다면 14000名 모두 죽을 수도 있다는 것을 알고 있었지만,


아직 埠頭(부두)에는 많은 避難民(피난민)들이 있었고 그들을 생각한다면 단 한名이라도 더 태우는 것이 그들로서는 最善(최선)의 選擇(선택)이라 생각했을 것이다.


歷史上(역사상) 가장 偉大(위대)한 生命救出作戰(생명구출작전)과 歷史上(역사상) 最惡(최악)의 大慘事(대참사) 사이에서 그렇게 航海(항해)는 시작되었다.


메러디스 빅토리號는 甲板(갑판)에 몰려 있던 사람들에게 얼음같이 찬 물보라를 끼얺으며 거친 東海(동해)를 向(향)해 出航(출항)하였다.


끼얹다
pour
shower


물보라
물결이 바위 따위에 세게 부딪치거나 솟구칠 때, 사방으로 흩어지는 잔물방울
a spray
a splash


神經(신경)이 痲痺(마비)될 정도의 추운 날씨에 눈보라도 치고 있었다.

눈보라
거센 바람에 불려 드세게 휘몰아치는 눈
snowstorm
blizzard


甲板(갑판)위의 많은 사람들은 얇은 옷을 입고 있었으며 추위에 떨고 있었다. 배에는 飮食(음식)도 물도 電氣(전기)도 없었지만 그들이 견디낼 수 있었던 것은 서로에 대한 意志(의지)와 慰安(위안), 自由(자유)에 대한 希望(희망)이었다.


삶과 죽음의 境界線(경계선)에서 두려움에 가득 차 있던 메러디스 빅토리號에 새로운 生命(생명)이 태어났고 避難民(피난민)들 역시 새로운 生命(생명)에 대한 敬畏感(경외감)에 두려움은 사라져갔다.


놀랍게도 航海(항해) 途中(도중) 4名(명)의 아이가 더 태어났다.


어떠한 危機(위기) 狀況(상황)에서도 沈着(침착)했던 避難民(피난민)들과 다섯名의 新生兒(신생아)들을 보라보며 한 乘務員(승무원)은 이렇게 말했다.


「크리스마스 이브의 奇蹟(기적)이다」


大幸(대행)스럽게도 1950年 크리스마스의 東海(동해)는 큰 波濤(파도)없이 잔잔하였으며 메러디스 빅토리號는 巨濟島(거제도)를 向(향)했다.


1950年12月25日 크리스마스, 마침내 메러디스 빅토리號는 巨濟島(거제도)에 도착하였다.


結局(결국)6時間30分만에 避難民(피난민)들은 모두 上陸艇(상륙정)에 옮겨 탔고 72時間 동안의 숨막히는 航海(항해)는 避難民(피난민)들과 船員(선원)의 安堵(안도)의 눈빛과 함께 그렇게 마무리 되었다.


라루 船長(선장)은 마지막 航海日誌(항해일지)를 記錄(기록)하였다.
「航海中(항해중)5名 誕生(탄생)
死亡者(사망자)없음.
14005名 無事(무사)히 上陸(상륙)함.」


戰爭(전쟁)이 끝난 後 레너드 라루 船長(선장)은 20年의 바다 生活(생활)을 마감하고 1954年 修道者(수도자)의 길로 들어섰다.


훗날 베네딕트 修道院(수도원)의 마리너스 修士(수사)로서 50年間 獻身(헌신)하시다 87歲(세)를 一期(일기)로 2001年10月14日 日曜日 아침 平和로이 잠들었다.


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기적의 배 멜레디스 빅토리호

1950년 한국에서 잊혀진 이야기가 2004년 5월 기네스북에 올랐다. 언론은 이 사실에 대해 일제히 보도를 시작했고 미국의 한 현대는 이렇게 표현했다. 기적의 배 멜레디스 빅토리호」.

1950년 미국의 민간상전인 메레디스펙트리호는 전쟁에 참여하라는 명령을 받았다. 그 전쟁과는 다르지 않은 한국 전쟁이며 1950년 9월 15일, 인천 상륙 작전의 시작과 함께, 멜라디스 빅토리 호는 한국전쟁에 참전하게 됐다. 과연 이 1척의 배에 어떤 운명이 기다리고 있었을까.  

1960년 6월 25일 625동란으로 발발한 전쟁은 12월 겨울이 됐다. 9월 인천상륙작전으로 희망이 보인 것도 얼마 동안 북한군과 중공군의 인해전술로 흥남지역을 지키고 있던 유엔군은 철수를 시작할 수밖에 없었다. 차가운 눈이 내리는 가운데 훈남 부두는 피난민과 군인으로 가득 찼다. 

1950년 12월 20일 19시 10분 나라티스 빅토리 작전 명령을 받아 서둘러 흥남의 항구 밖, 외항에 도착했다. 메레디스 빅토리 호는 항구 밖에서 다음 명령을 기다리고 있었다. 선장이 흥남항을 보면 도망 온 피난민들로 돌아왔다. 눈으로 덮인 흥남시가에 포탄이 비처럼 내려 흥남시가지는 그야말로 살아 지옥이었다. 피난민은 해변까지 나오고, 허리까지 바다의 물에 잠기면서 간절한 표정으로 밖에서 정박하고 있는 배를 응시하고 있었다. 피난민 뒤에는 북한군과 중공군이 밀려오고 있어 피난민 앞에는 큰 바다만 있었다. 그들에게는 점점 어두운 운명의 그림자가 있었다. 죽을 것인가 포로가 될 것인가. 

1950년 12월 22일 아침 6시 50분 멜라디스빅토리호는 기계화부대 상륙정에 전투식료를 옮기고 마쳤다. 라루 선장은 선두대원을 태우고 바로 흥남항을 출발할 것으로 보였다. 라루 선장이 쌍안경으로 흥남항을 보니 피난들이 단지 멍하니 나를 잊은 표정으로 큰 바다를 바라보고 있었다. 위기에 처한 피난민을 보고 밖에 없는 선장에게 애틋한 생각이 점점 커져 갔다. 

12월 12일 17시 30분 육군참모들이 승선하자 선장은 간부와 선원들의 긴급회의를 열었다. 

육군 선박은 거의 흥남항을 떠났다. 남아 있는 것은 이 메디디스 빅토리호 일척뿐입니다. 육군 제3사단이 방어선을 지키고 있는 지금, 신속한 철수를 부탁드립니다. 철수작전은 이것으로 흥남철수작전은 이것으로 거의 끝입니다. 미 육군의 군인과 장비를 쌓으면 빨리 출발되었고. 

피난민은 어느 정도 있는가. 

대체로 3만 5천명 정도로 추정됩니다. 

피난민이 탈 수 있는 배는 있는가. 

없습니다. 공산군의 사용을 막기 위해 폭파할 예정입니다. 공산군은 흥남주민이 유엔군을 도왔다는 명목으로 총살한다고 예고하고 있습니다. 시간이 없습니다. 선장! 군인을 태우고 예정대로 흥남항을 떠나는 것이 최선이라고 생각됩니다. 

선원들은 심각한 대화를 숨을 죽이고 들을 뿐이었다. 제라드 라루 선장은 결정을 내렸다. 

피난민을 실어라. 가능한 한 많이. 

화물 운반용으로 건조된 빅토리호는 48명 선원을 위한 12인용 선실이 하나 있는 것만으로 만약 수천명이 타면 사고가 일어날지도 모르고, 300톤 이상의 항공 연료도 쌓여 있고 불꽃에서도 흩어지면 배 마다 날아 버리는 위험까지도 있었다. 

1950년 12월 22일 금요일 밤 21시 30분 피난민들은 메레디스 빅토리 호에 승선을 시작했다. 셀 수 없는 북한 주민들이 배에 밀려왔다. 모든 틈새에 피난민이 밀려났다. '이제 들어가지 말라'는 외침이 들려도 좋을 텐데, 하룻밤 동안 그런 말을 하는 사람은 없었다. 

12월 23일 아침 11시 10분, 모든 창고, 그리고 갑판까지 사람으로 넘쳤다. 7600톤의 강철선에는 7600톤의 강철선에는 10시간 반을 걸어 1만4천명의 죄없는 생명이 구원을 구해 승선한 것이었다. 기뢰 탐지기가없는 배였기 때문에 기뢰에 닿으면 폭파 침몰 할 것이며 러시아의 잠수정에 의해 격침되는 일도 있을 수 있었다.

그러나 배를 타지 못하고 부두에 남겨 온 피난민들을 생각하면, 혼자라도 많은 사람을 실어 하고 싶었다. 역사상 가장 위대한 구출작전이 역사상 최악의 대참사의 위험을 저지르면서 생명의 항해가 시작되었다. 

얼음처럼 차가운 물보라가 갑판 사람들에게 걸리면서 메레디스 빅토리호는 출항했다. 신경이 마비될 정도로 추운 날씨에 눈보라까지 내려왔다. 간판 위의 사람들은 얇은 옷을 입고 추위에 떨었다. 배에는 음식도 물도 전기도 없었지만, 그들이 견딜 수 있었던 것은 살기에 대한 의지와 자유에 대한 희망이었다. 

삶과 죽음의 경계에서 두려움으로 가득했던 메레디스 빅토리 호에 새로운 生命(생명)이 태어났다. 피난민들은 생명에 대한 경외심으로 두려움을 잊었다. 

이 항해의 도중에 또 다른 4개의 새로운 생명이 태어났다. 5개의 새로운 생활을 지켜보는 몇몇 승무원은 이렇게 말했다. '크리스마스 이브의 기적이다'.

다행히도 1950년 크리스마스는 큰 파도 없는 바다를 빅토리 호는 거제도(고제드)로 향할 수 있었다. 1950년 12월 25일 크리스마스, 마침내 메레디스 빅토리호는 거제도(고제드)에 도착했다. 6시간 반 항해 후 피난민들은 상륙정을 타고 섬에 도착해 안도의 한숨을 쉬어 '생명의 항해'를 마쳤다. 

라루 선장은 마지막으로 항해일지 이렇게 기록했다. 
항해 중 5명 탄생. 
사망자 없음.
14005명 무사히 상륙했다. 

전쟁이 끝난 후 라루 선장은 1954년 베네딕트 수도원의 수도사가 되어, 50년간 헌신해, 2001년 10월 14일 일요일 아침, 87세로 평화로운 잠에 붙었다.  

……………

奇跡の船 メレディス ビクトリー号

1950年6月25日、625動乱として勃発した戦争は12月の冬になった。9月の仁川上陸作戦により希望が見えてきたのもつかのま、北韓軍と中共軍の人海戦術により興南(フンナム)地域を守っていた国連軍は撤収を始めざるをえなかった。冷たい雪の降る中、興南埠頭は避難民と軍人でいっぱいになった。

興南(フンナム)の港の外、外港に到着した。

メレディス ビクトリー号は港の外で次の命令を待っていた。船長が興南港を見ると、逃げて来た避難民でごったがえしていた。

避難民達は海辺まで出て来て、腰まで海の水につかりながら懇切な表情で外で停泊している船を見つめていた。

避難民の後ろには北韓軍と中共軍が押し寄せて来ており、避難民の前には大きな海だけがあった。彼らにはだんだん暗い運命の影がさしていた。

1950年12月22日朝6時50分、メレディス ビクトリー号は機械化部隊の上陸挺に戦闘食料を移し終えた。ラルー船長は戦闘隊員を乗せてすぐ興南港(フンナム)を出発するものと思われていた。

ラルー船長が双眼鏡で興南(フンナム)港を見ると避難民達がただ茫然と我を忘れた表情で大海を見つめていた。危機に瀕した避難民を見ているしかない船長に切ない思いがだんだん大きくなっていった。

12月12日17時30分陸軍参謀達が乗船したら、船長は幹部と船員達の緊急会議を開いた。

👮‍♂️国連軍の船舶はほとんど興南(フンナム)港を離れました。残っているのはこのメレディス ビクトリー号一隻だけです。陸軍第三師団が防御線を守っている今、迅速な撤収をお願いします。興南撤収作戦はこれでほとんど終わりです。米陸軍の軍人と装備を積んだら早く出発されたし。

👨‍✈️避難民が脱出する船はあるのか。

👮‍♂️ありません。共産軍の使用を防ぐ為、爆破する予定です。共産軍は興南住民が国連軍を助けたという名目で銃殺すると予告しております。時間がありません。船長!軍人を乗せて予定通り興南港を離れるのが最善と思われます。

船員達は深刻な対話を息を殺して聞くのみであった。

👨‍✈️避難民を乗せろ。できるだけ早く!

貨物運搬用に建造されたビクトリー号は12人用船室が一つあるだけで、もし、数千名が乗れば事故が起こるかも知れず、さらに300トン余りの航空燃料も積んでおり、火花でも散れば船ごと吹き飛んでしまう危険までもあった。

「もう入るな!」という叫び声が聞こえてもいいほどなのに、一晩中、そんな事を言う者はいなかった。

12月23日朝11時10分すべての倉庫、そして甲板まで人であふれた。7600トンの鋼鉄船には10時間半をかけて1万4千人の罪の無い命が救いを求めて乗船したのであった。

機雷探知機の無い船であったので、機雷に当たれば爆破沈没するだろうし、ロシアの潜水艇によって撃沈される事もありえる。そうなれば、隙間なく詰め込められた14000人はすべて死ぬ事も考えられた。

しかし、船に乗れず埠頭に残した避難民達の事を思えば、一人でも多くの者を乗せてやりたかった。

歴史上もっとも偉大な救出作戦が歴史上最悪の大惨事の危険を冒しながらそうして、生命の航海が始まった。

👩‍🏫たくさん人がいて船に乗れなかった人も多かったのに、
私達は苦労せずに乗る事が出来ました。
下を見たら人がいっぱいつまっていて、倉庫もいっぱいで、
「次の階に行け。次の階に行け」と言われて行ったのです。
そしたら、船の汽笛が鳴ったのです。そしたら、みんな突然泣くのです。
「いつ、又、故郷に帰れるだろうか」
下の倉庫は換気扇も一つも無く、人達が出したものがびちゃびちゃになっているです。
船長さんが言われていました。「最後に埠頭で乗せられなかった人達がいた事が残念だ」
私達は知らなかったのです。私達は倉庫の中にいたから。

氷のようい冷たい水しぶきが甲板の人達にかかりながら、メレディス ビクトリー号は出港した。神経が麻痺するほどの寒い天気に吹雪まで打って来た。甲板の上の人達は薄い服を来ており、寒さに震えた。

生と死の境界線で恐ろしさでいっぱいであったメレディス ビクトリー号に新しい生命が生まれた。避難民達は命に対する畏敬の念により、恐ろしさを忘れた。

驚くことにこの航海の途中にさらにもう4つの新しい生命が生まれた。

幸いにも1950年のクリスマスは大きな波もない海をビクトリー号は巨済島(コジェド・거제도)に向かう事が出来た。

6時間半の航海の後、避難民達は上陸艇に乗って島に着き、安堵のため息をつく事により、生命の航海を終えた。

戦争が終わった後、ラルー船長は、1954年、ベネディクト修道院の修道士になり、50年間、獻身して2001年10月14日日曜日の朝、平和な眠りについた。

ブラザー(修道士) 洗礼名 マリナス ラルー
1914年 1月14日 出生
1956年12月25日 告白
2001年10月14日 死

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中央日報 2017年6月13日
흥남철수 빅토리 호 선원, 문재인 대통령 만난다

당시 빅토리 호에 문재인 대통령의 부모와 누나가 타고 있었다.
“우리는 피란민을 태우기 위해 군수 물자를 포기했다. 피란민들 가운데는 어린 아이와 노인, 임산부들이 섞여 있었다. 우리는 일가족이 흩어지지 않도록 최선을 다했다. 우리가 구출해낸 피란민 중에 한국의 새 대통령 가족이 있었다는 사실을 알고 매우 감격스러웠다. 문 대통령의 부모가 빅토리 호에 타지못했다면 문 대통령은 현재 위치에 있기 어려웠을 것이다. 감사할 따름이다.”

문 대통령은 가족이 거제도에 도착하고 3년뒤인 1953년 1월 거제군 거제면 명진리에서 태어났다..





2023/12/19

✎「쇠 (鐵)철」에 대한 考察(고찰)


✎쇠 철



「鐵」은 攝理的으로 意味를 가지게 된 것은 鐵杖王國을 發表하신 때부터입니다. 아버님이 地上에 살아계셨을 때 가끔 重要한 漢字에 대해서 解析을 하셨는데 지금 아버님께서 우리 앞에 계신다면 다음과 같은 풀이를 하시지 않을까 저는 생각합니다.


「鐵」은 口=말씀과 王=왕을 지키는 戈(과=무기)인 鋼鐵(강철)이다.


「鐵」은 年頭標語에서 몇번 나왔고 앞으로도 年頭標語에 자주 나올 漢字임으로 대단히 攝理的意味가 깊은 漢字입니다. 特히 日本사람들中의 이것을 略字로 가볍게 다르는 사람에게는 하늘의 運이 올 수가 없다고 생각됩니다. 그리고 한글로 表記하려고 하는 韓國사람에게는 이 「鐵」의 漢字가 내는 剛力(강력)한 靈的波動을 받지 못한 것은 分明합니다.



✎「鐵」字을 使用한 天一國時代의 新出單語


鐵杖解放祝祭
鐵杖王, 鐵杖王冠, 鐵彈王(King Bullet Head)
鐵杖道
鐵杖騎馬部隊, 鐵杖騎馬行進
鐵杖訓練
鐵杖修練會
鐵杖길(道路名)
鐵杖憲法(2023年12月13日)

鐵杖王國


✎앞으로 나올 것으로 豫想되는 單語


鐵杖思想
鐵杖神學
鐵杖政治
鐵杖學校
鐵杖社會, 鐵杖主管圈
鐵杖人,철사모(鐵杖을 사랑하는 사람들의 모임), 마음의 鐵杖
鐵杖마을, 鐵杖共同體, 鐵杖國家, 鐵杖大陸, 鐵杖世界
鐵杖統一, 鐵杖南北統一, 鐵杖天宙統一




✎「鐵(철)」은, 「金(금)의 王(왕)이 哉(재=되리라)」.


江戶時代(에도시대)의 思想家(사상가) 미우라 바이엔은, 「金(금)은 五金(오금) 卽(즉), 金(금), 銀(은), 구리, 납, 鐵(철)의 總稱(총칭)이 되어, 五金(오금)中(중), 「鐵(철)」을 至寶(지보=그 이상 없는 귀한 보물)로 한다. 왜냐하면 「鐵(철)」의 값은 싸고 그 用度(용도)가 넓고, 民生(민생)에 必須(필수)이다」라고 記錄(기록)했다.

「鐵」は、「金(きん)の王なる哉(かな)」。江戸時代の思想家三浦梅園(ばいえん)は、「金とは五金(金、銀、銅、鉛、鐵)の総称なり、五金の内にては「鐵」を至宝(しほう=この上なく貴い宝)とす。如何となれば「鐵」のその価(あたい)、廉(れん=安い)にして、その用広し、民生一日も無くんば有るべからず」と記(しる)している。


舊國鐵(구국철・旧国鉄)의 JR그룹에서는 各社(각사) 모두 社名(사명) 로고에 「鉃」, 卽 金偏(금편)에 矢(화살 시)를 사용하고 있다. 이것은「금을 잃는다」로 意味(의미)하는「鉄」의 글자를 避(피)하기 위해서이다.


旧国鉄の今のJR各社は、金偏に矢の「道」を使う。これは「金(かね)を失わない」為である。


「新日鐵住金(신일철주금)」은 正字(정자)의 「鐵(철)」을 使用(사용)하고 있었다. 그것이 變更(변경)되어「鉄(철)」을 사용한「日本製鉄(일본제철)」이 되었다. 「日本製鉄(일본제철)」이 된 첫해 2019年에 갑자기 赤字決算(적자결산)이 되었다.


「新日住金」は、2019年に社名変更して「日本製」となり、その年に突然、赤字決算になった。


「富士製」「八幡製」は、戦前から現在まで「」が使われている。




2023/12/11

사토켄會長行事報告 「하나님의 고마우신 손」2023年12月11日

사토켄 회장 행사 보고
「하나님의 고마우신 손」
(日語4分)


사토켄 會長(회장):

어제는 수고하셨습니다. 많은 사람이 모였습니다. 몇 명 모였습니까? 지금까지 가장 많이 모인 것이 아닌가 생각합니다. 賣出(매출)도 가장 좋았다고 들었습니다. 

오이타(大分)에서 아난(阿南)상들 이7名정도 와주셨고, 聖殿食口(성전식구)님들도 7名, 야마네상夫婦(부부)도 와주시고, 그리고 엔도 先生님도와 주시고. 많은 여러 食口(식구)님들 와 주셨습니다. 勿論(물론) 一般(일반)사람들도 와주셨고. 

어제 분위기는 아주 좋았어요. 다들 즐거웠다는 印象(인상)이었습니다. 하루 終日(종일) 할리데이비슨 販賣店(판매점) 職員(직원)들이 와서 여기서 展示會(전시회)를 해 주었습니다. 정말 좋았다고 생각합니다. 

저도 掌匣(장갑)을 하나 샀습니다. 할리 데이비슨의 掌匣(장갑)이군요. 할렐루야, 다윗의 아들. 그 掌匣(장갑)을 샀단 말이에요. 

그리고 오토바이에 타는 사람들이 뭔가 매우 즐겁게 어제하루를 보내주셨습니다.  커피도 맛있게 마시고, 여기 핫도그는 매우 맛있다고 여러 곳에서 話題(화제)가 되었다고 합니다. 핫도그가 맛있지 않아? 所聞(소문)이 되었다고. 

다양한 사람들이 앞으로 왔다갔다할 수 있는 그러한 聖殿(성전), 알파 카페가 될 수 있으면 합니다. 

여기까지 온 것도 奇跡(기적)이 아닐 수 없습니다. 王(왕)님이 웨이 메이커 노래를 아주 좋아하신 것 같습니다. 웨이 이커,미라클 워커,또 하나 뭐 있었어요? 約束(약속)을 지키는 분. 

정말로 제가 했냈다고는 생각할 수 없습니다. 그렇지만 누군가가 해주셨다고도 생각하지 않아요. 하나님께서 큰 손을 뻗어주시고 準備(준비)도 아무것도 안했지만, 하나님이 役事(역사)해 주시고 여기까지 야마구치聖殿(성전)을 키워주신 하나님이 계셨구나, 그런 식으로 생각하고 있고 정말 感謝(감사)합니다. 

奇跡(기적)을 일으키셨다고 그렇게 말한다면 코토에상의 生命(생명)을 復活(부활)시켜 주신 분도 하나님이었다고 생각하고,  當然(당연)한 것은 아무것도 없고 끊임없이 하나님의 고마우신 손으로 引導(인도)받고 많은 恩惠(은혜)를 받고 지금이 있다는 것을 정말로 實感(실감)합니다. 

2023年12月11日